1948(昭和23)年に刊行された『保育要領』形成過程に関する先行研究では、当事者の回顧録によって功刀嘉子は通訳者と位置付けられている。しかし、保姆養成者として幼児教育内容調査委員に委嘱された功刀には、保育の専門性が期待されたはずである。その疑問を問いかけた。