功刀嘉子は、CI&Eのヘレン・ヘファナンの通訳としての役割のみが主として伝えらえてきたが、保姆養成者として幼児教育内容調査委員に委嘱された彼女自身の保育論があったと考える。東洋英和女学校幼稚園師範科教員時代の教え子6名に当時の功刀についてインタビューを行い、また卒業生が残した記録から、功刀がいかなる保育論を有していたのか考察した。