2015年9月13日、第1回「京都こころ会議シンポジウム」(京都ホテルオークラ)における京都大学こころの未来研究センター教授・河合俊雄先生の講演「こころの歴史的内面化とインターフェイス」において以下のように取り上げられた。(http://sauvage.jp/activities/3277 明治大学野性の科学研究所「第1回京都こころ会議(2):河合俊雄教授、山極壽一教授講演レポート2016/02/10」より)
そこで、個人の内面化の深化ではなく、インターフェース(仲介)が最近急増しているといいます。例えば日本では、前川美行さんの『心理療法における偶発事』という本は、心理療法はむしろ、偶発事により展開し得ることを書いた本です。かつてユングが第一次大戦前後に心霊現象を感じて書いた『赤の書』にも、そのモデルはあります。「聞け。私は無から説き起こそう。無は充溢と等しい。無限の中では、一杯なのは空と同じだ。無は空であり一杯である」。これは、原理的な書き方です。つまり、ユングはこころは無から立ち上がってくるのだと言うのです。