心理療法において箱庭療法を勧めるとき、また描画に誘うとき、どのような基準で始めるのかと尋ねられることがあります。SVの先生や先輩、そして仲間から、イメージが展開するケースを聴いていると、それは謎ではなく自然な流れと思えるようなのですが、接することの少ない人にとっては、論文を読んでもケース発表を聴いても謎は深まるようです。どのようなタイミングで、なぜイメージを勧めるのか、ほとんどが心理療法の場とクライエントさんとの関係がそうさせる、といえます。一方で、近頃、ネットにも頻出している「箱庭療法」の理解の中には、安易な適応があり、これはやはり避けるべきことです。訓練を受けずに使われ始める危険性は、やがてイメージによる心理療法を衰退させてしまう危険さえあるでしょう。イメージの持つ力、可能性はそれほど大きなものです。最近では、展開が望めないと思われていたケースにも箱庭など直接的な表現媒体がこころにも働きかけることが事例から示されてきています。
そこで、イメージの持つ可能性を自験例から探りたいと思います。一般的な理解を越えた突出した表現は多くのことを明確化し、あるときには可視化し、直接的に教えてくれます。
セラピストの不思議な夢もお話ししたいと思います。そこから、夢・箱庭・描画などのイメージの持つ可能性を探りたいと思います。