日本の社会では「死を想う」ことは「よい」こと、「必要」なこと、「当たり前」のことにまでなったかのような観がある。その一方で、「死」をではなく「死者」を想うという視点から日本の戦後を省みるとき、この社会は膨大な死者を「想う」よりもむしろ、「尊い犠牲」や「復興」の名の下に、「忘れる」ことをこそ努めてきたようにも思われる。そこであらためて「日本人の死生観」に歴史的な文脈から光を当て、批判的に検討した。